DESIGN

2025.11.30

あったかい空間が、リラックスには必要だ。

物心ついたときから、急須で淹れるお茶が大好き。
そういうと、なんだか規律正しくお茶を厳かに淹れているように思えそうだけれど、全然そんなことない。

私の育った地域は、給湯ポットに溜めた100℃のお湯を、急須に入れた茶葉にどっとたっぷり注ぐような飲み方が当たり前の、いい田舎だった。
急須で温度と茶葉の量を測って飲むようになったのは、思えば大学生になって京都に引っ越して以降の話で、それまではお茶といえば、何にも考えずにポットから急須にどばどばと注ぐような、雑多な飲み物だった。

京都に引っ越してからは、清水寺の近くにある五条坂や二年坂、祇園四条や三条の骨董屋で急須や湯呑みをたまに買って、和束町の宇治茶だとか、日常使いの茎茶なんかを商店街で仕入れて飲むのが日常になった。
丁寧かと言われるとそうかもしれないけど、地域らしい文化に馴染んだ、どこにでもある普通の生活だと思う。

これは習慣であり、コンフォートゾーンの中での行為なんだろう。

ペットボトルのお茶があまり好きではないし、小学生の頃から雑多に急須で自分のお茶を入れていたから、淹れたて煎茶の方が、手軽で美味しく感じる。
これは、今でも変わらず。
何も考えずにとりあえずお茶をざっと淹れると、ほっと一息つける。

お茶を淹れることが少なくなる時期は、たいてい調子が下がり気味のアラート。
そういうときには、大抵、お茶以外の習慣も乱れている。
気になっていること、引っかかっていることを、まるっと意識にあげてモニタリングする時期にきている証拠かも。と思うことにしてみたり。


11月も半ば。
寒くなってきたから、体調も変化しやすい。
緩やかなモニタリングをこまめにとる時期が、今年もやってきた。
冷え込むだけで体は緊張するもんだから、リラックスの深さを作る環境づくりが、ものを言う季節だ。

リラックスの度合いは、お勉強だとか、新しいことを学ぶことのしやすさの度合いに直結するもので。
あらゆる状況に対応ができるリラックスの状態をどう作るのか、大切にしたいなぁと思い、同じ課題に向き合ってきた先人の知恵をお借りするような日々を過ごしている。


ここ数ヶ月、バタバタと目の回るような出来事が続いていたので、俯瞰して眺めることがいつも以上に必要だった。

例に挙げてみると、Royal College of Artの入学延期だとか、ロンドンに移住することなく大学院に通う方法を模索したりだとか、空間体験としての北欧インテリアに触れてみたり、フィンランドのメンタルヘルスケア関係のデザインにときめいたり、ほとんど引っ越しに近いような自宅の整理整頓をしたり・・・。

やり方を変えて、あらゆることに対応する力を身につけなければ、やわらかく次に進むことはできんのだろう・・・。という気持ちで、感性の使い方を変えることに。

疲れない、無理をしない、頑張らない、の基準を高めていく感じというものは、言葉にすると簡単だけれど、実際に見直していく工程に多少の重さが出てくるものだ。

物事は、行動に落とすときに、特にたくさんのエネルギーが必要とされるように、言葉にして考えたことが行動になるときの方が、なんだか色々な物事や他者とのご縁が動く感じがする。


リラックスは、このエネルギーの通り道がスムーズに循環するときに、健やかさを持ち続けるための鍵になっているんだと思う。

人がリラックスしづらいときには、回復できて立ち返ることのできる「心の庭」みたいな自分だけの空間が、乱れていたり、今の自分には合わない形になっていたり、別の新たな形を求めていたりするんだろう。

「内側の空間」を温める方法は、人によって本当にさまざま。
文化ごとの価値観が滲み出ることもあれば、その人の気質や、これまでの経験、今置かれている状況によっても変わってくる。

情報体験デザインの世界では、「人がどんな精神的な文脈にあるかによって、体験の受け取り方や、心に残る情報の深さが変わる」と言われている。

だからこそ、ひとつの視点にとらわれた状態からの移動、「視点の元そのもの」をずらすことから始める。
別の立場から見つめ直す体験こそが、世界の見え方を根本から変える力を持つ、と多くの実験的研究が示している。

ちょっと小難しい言い回しをしてしまったけれど、要は「違う生き物」になってみる体験をすることで、「新しい生き物」になっていくような進化を、人は続けるという感じをデザインする分野のようだ。
変化の文脈を設計するなどといった、やたらかっこいい言葉で語られることもある。

一つの分野として成立するほど、体験デザインという体系が進化してきたことを、知れば知るほど納得する。
自分がどれほど多面的な生き物なのかを考えながら、「内側の空間」が安らぐ環境を設計する。
それは、想像以上に、感覚をフル動員することになる。

めんどうな営みにじっくり向き合う時間が、自分の内側を丁寧に見つめ直す機会になっているというのは、頭では分かるけど・・・めんどくさい・・・、というやつだ。
空間づくりと生命現象の関係は、複雑で繊細だから。

個人的には、そうした生命現象に根ざした空間づくりへの興味が、自然と北欧のインテリア文化や環境の背景を知りたい欲求へと向かっている。
本を読む時間も、家具屋や雑貨屋に足を運ぶ頻度も、ぐっと増えた。


(図書館や書店で読むのがオススメ。去年、受験前に知りたかったな、という本たち。)

フィンランドをはじめとする北欧は、日照時間が短くて、極寒で外出が難しい地域だからこそ、室内の空間をいかにあたたかいものにするか、重要性がとっても高い地域だと聞いて、納得しかない。

次のロンドン行きは、フィンランドを経由しようと思い立って、ヘルシンキの気温を調べた。
すると、平気でマイナス10℃を観測していたし、15時にはもう太陽が沈んで真っ暗らしい。

確かに、それほど寒くて日が短い地域だからこそ、「美しいだけじゃない」調光バランスのいい照明が求められ、自然の美しさを暮らしの中で楽しめるような、マリメッコやイッタラといったブランドが育まれたのかと、感動。
内側の空間設計への意識が、ながい歴史で積み上がってきたのだろう。



体験デザインの一環として、自室をつくる過程の中で、自分らしい納得感や、自分だけの空間における「らしい感性」を発揮するには、思っていた以上に、たくさんのノウハウと試行錯誤が要るのだと悟った。

暮らしをよくすることは、想像よりも、ずっと多くの知恵が要る。
京都の料亭で真っ先に名前の上がる、菊乃井の村田先生が、「美味い料理を作るには、金をかけるか、手間をかけるか。」と仰っていたいたけれど、暮らしも同じだ。
基本的に、無限に予算をかけられるような種類のものではないから、手間をかけられるだけの知恵は、絶対的に必要。


さて、こだわりが強くてせっかちな自分は、空間に心から納得できる瞬間を、本当に待てるのだろうか・・・と思うこともあるけれど。
待たないことには出会えない状況があることを、人は経験的に学ぶようで。
じっと寝かせる時間の楽しみ方のバリエーションも、少しずつでき始めた。

そのときどきの新しいこだわりを知ることが、誰かの基準や、過去の自分が「これが好き」と思い込んでいた鎧たちを、外してくれたり。
あらゆる文化の中から、次のこだわりを発見することは、私の「内側の空間」を豊かにしていく過程の中に、必要な儀式なんだと思う。


追伸:自然にリラックスする空間作りを、少しずつ動画に収めて、まとめて映像にしたい。3000文字を超えたところで、主題は文章で伝わる話ではないことに気づいてしまった。

Natsumi Goto

デザイナー/アーティスト

自然や日常の中にある「感性の動き」をテーマに、アート制作やデザインコンサルティングを行う。

感性を起点に、個人やブランドの「まだ言語化されていない魅力」を引き出し、コンセプト設計や表現へと落とし込むことを得意とする。

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