ART
2026.6.20
憧れをカタチにして

2026年も、もうすぐ折り返し。
私にとって今年は、生まれ変わったように楽になる時期でした。
思えば、2025年頃までは、地を這うような期間であり、先の見えない雲を掴みながら、人生をひらく時期で。
過去の座標にいた自分では、到底見ることすら叶わない、自分のような者が願ってよいとすら思えなさそうなゴールが設定されたことで、訳の分からない歩みをすることになり。
ストレッチな日々を経て、少しずつ、少しずつ、実態が追いついてきたかな、と思います。

例えば、この4年間は、ほとんど毎月(多い時には毎週)国内遠方への出張があり、1ヶ月まるまる家に帰れない月も普通にあったり、ヨーロッパへの長期出張が発生して、時差と文化に慣れない日々を送ったり。
そういうことで忙しかったので、健康面のレベルアップが必要で。
高頻度でサウナに通ってみたり、蒸籠蒸し料理にハマって野菜と魚ばかり食べていたり。
(3食ともに蒸籠蒸しの自炊をしていた時期には、蒸籠が2ヶ月でダメになった。)
ちゃんと振り返ると、流石に想像できなかったようなことばかり起きていて、根性が試されるような出来事も多かったのですが。
こんな日々を誰が送りたいと思うのだろうと思うけれど、それは自分がやりたいことだったんだなぁという答えに落ち着くんですよね。
私の師匠は「自分がやっていることそのものが、仕事になっていく。」と言っていましたが、それが自然に広がった2026年上半期だったと思います。

直近の出来事といえば、京都出張。
10年以上住んでいた京都は、私にとって仕事をする街であり、観光客っぽい目線で過ごすことがなかったのですが、とても穏やかな目線で楽しむことができた気がします。
その理由は2つあるとみています。
1つは、自分の感性で自分らしく過ごすことが、アートというカタチで昇華されることを分かってきたこと。
もう1つは、私の仕事というものは、役割・機能から考えるのではなくて、自分の内側で感じたものが外側に現れたときにいいカタチに収まると、分かってきたこと。
まず、前者について。
放っておいても自分が感じてしまうものに、蓋をしなくなってきたことで、勝手な表現をしてしまうような人間になったのだと思います。
そういうエゴを分かっていくことでしか、先の階段に辿り着けないと、ある段階で気づいたことが大きい。
なんでもない、とりあえず感じた感覚を前に出していくこと。
評価されることを忘れた感覚が、勝手に動き続けることに、意味を持たせないこと。
この意識を守る空間を、自分の中に設定することが上手くなってきた気がします。
そして、後者について。
資本主義の世界で生きる私たちは、経済合理性を無視して生きることができないからこそ、無意識に市場を意識したり、社会への適合性を意識して仕事を組み立てるものだと思います。
けれど、私の仕事について言えば、「自分がやっていることが仕事になる。」感覚でしか、先に行けない種類のものです。
その個性を消した瞬間に、自分の唯一性が失われることになり、結果的に資本主義市場での立ち位置においても影響を受けることになります。
だからこそ、「自分のやっていることが仕事になる」感覚が確立されるまでは、あまり市場ベースで考え過ぎないほうが、上手くいくのだと気付かされました。
そして、この考えを実行するには、自分に合った環境を選んで仕事をすることがセットで必要になります。
だから、「自分がやりたいこと・やっていること」を、いかに守り、大きな生命現象へと育てるか、を軸とした仕事の空間を維持することが最重要です。
そんな空間でのびやかに厳しく育てられた私の仕事は、結構いいものに仕上がってきた感じがします。
そういうわけで、ますますのびやかに日々を送った先に、たまにお会いしましょう。
このブログは、定期的に更新する場所に育てたいので。

Natsumi Goto
デザイナー/アーティスト
自然や日常の中にある「感性の動き」をテーマに、アート制作やデザインコンサルティングを行う。
感性を起点に、個人やブランドの「まだ言語化されていない魅力」を引き出し、コンセプト設計や表現へと落とし込むことを得意とする。
