CULTURE

2025.11.1

暮らす力を伸ばしたい時期


2拠点生活とか、ロンドンと日本を行き来するとか、北欧インテリアによる空間設計とか、独立研究過程の準備とか、あらゆるトライを重ねているこの数ヶ月。

昔はできなかった、「それは無理ゲー」と反射で思いそうなこと、ハードル競技のように徐々に飛べるようになり、道が開けるような期間。


3年前の自分に話したら、「それはジョーク?」と言われそうなことが、日々の当たり前になった。
ドラクエはやったことがないが、ロールプレイングゲームだったら、魔王を何回倒したん、と突っ込みたくなるレベルアップぶり。

それでも、次から次に、また新しい魔王はやってくる。
人生、とっても長いもんですね。



私は学生の頃、体育の授業では長距離走とシャトルランが好きだった。
ストイックに追い込むのが快感、みたいな脳筋的な考え方が、あったんだと思う。

そんな私、20代のうちはウルトラストイック期間だった。
もう一度やれと言われたら、多少は渋りたくもなる。

何かに縛られることがすごく不得意だから、色々な場所で自由に生きていきたいと、常々思っていることは、今も変わらない。
そして、常に何か新しいことを始めていないと、気持ちが悪い。

風通しの良いことをしていないと、人はちゃんと澱む。
役割を終えた人間関係にしがみつき、ただの記録になっていない過去の記憶に足を取られること、同じ考え方に執着することだってある。
そういう状況の人間は、問題を見誤ったり、問題をひこ起こしたりと、何かと面倒が多いもんだ。

子どもの頃は、過去にタイムスリップしたかのように、昔の問題をあーだこーだ言っている大人たちを見て、「いつの話をしているんだろう?」と不思議に思っていた。
重たくなって、ひっぱり出すことも面倒な、苦いしんどい記憶。
処理することに、それ以上にすごい労力をかけているような印象があった。

「そのときどきで、出てきた記憶をお掃除するって、大切なんだな」と、お正月に集まった親戚たちが、昔の苦い思い出を話すことで処理する姿を見ていて、妙に腑に落ちた。

そんなこんなで、過去とか思い出とか、遠い昔の座標に居着くような生き方をしたくないと思うようになった私。
15歳になってから、同じ場所に3年以上住んでいた経験が一度もない。
大抵は1、2年で家を変えてきた。
何かに縛られる気がして、自分の棲家をつくるという感覚が、長いことしっくりこなかった。


これまでは、若いうちに、とにかくどこでも生きていける実力を身につけようと、仕事を中心に据えた生き方をしていたし、棲家をつくるよりも新しい足場作りに楽しんでいたい気持ちが勝っていた。


ある程度まで走ってみると、「そろそろ土台を作ることに集中した方がいい」と思うタイミングが来た。
年齢とか、仕事の成熟度とか、抽象化の階段を登った先に、ふと思ったことだ。

そんなこんなで、はじめて、しっかり暮らしづくりに向き合っている。

例えば、料理。
師走に入り、せいろ蒸しを使った料理が染みる季節になった。

「趣味は料理です」、と外で話すことが増えてきたのは、その回数とか、好きの深さが、だいぶ積もってきた証拠だ。

忙しさのあまり、簡単なもので済ませていた期間が長かった。
そうすると、どうしてもバランスが崩れたり、添加物の多い食生活に偏ってしまうことが悩みの種だった。

都会には、沢山の飲食店がある。
手頃なテイクアウトも、スーパーのお惣菜も、気軽に済ませるライフスタイルを貫きやすい環境が、見事に整っている。
そういうスタイルの暮らしを辞めたのは、自分が「料理が好きだった」ことを思い出したとき。

たまたま母が料理上手だったこともあり、手の込んだ料理のみならず、シンプルな家庭料理を、楽しそうにキッチンで仕上げる様子を何度も見ていた。
いつしか自分も料理をするようになって、寮生活をしていた高校時代にも、部屋に冷蔵庫やIHやらを持ち込んで、パスタやお鍋を作ったりしていた。
私が作るよくわからない料理を、もりもり食べてくれる同級生たちが身近にいたから、なんだかよく作っていた。

当時つくっていた料理の味は、あまり覚えていない。
お菓子作りは得意だったけれど、普段食べるような料理は、場数がないと上手くなるようなものじゃないから、微妙だったんじゃないだろうか。
それでも、「好きだなー」「なんか落ち着くな」という安堵感と、自分に関わるものを自分で作れていることへの嬉しさは、しっかり覚えている。

場数の増えた今。
体が冷える日には、漬けておいた梅をおかゆにしたり、地元で沢山とれるお塩を野菜に振ったり、喜ばしいことがあるとお赤飯を炊いたり。

疲れている日には、無理をせずに簡単な湯豆腐、大雑把な味噌汁なんかを調理することもある。
季節ものの野菜が、スーパーで見切り品になっている様子に、旬を感じることもあれば、今年の気候に思いを馳せることもある。

料理を通して、栄養の入と出のバランスが取れている状況を、意識し始めた。
自分の感性に従っている時間だから、自然にワクワクするのも、いい。

料理を取り巻く文化・道具について知りたくなることもあれば、だしを通して「美味しい」と感じる味覚の仕組みを分解したくなることも。
あまりに奥深いから、ながく探求のしがいがある。

超一流の先生方がふだん作る家庭料理が、簡単に拝聴できるようになった現代。
暮らしを整えるハードルが、想像よりもずっと低くて、驚きの連続。

最後に余談だけれど、ユニクロもダイソーも、10年前と比べものにならないくらい、進化している。
モノによるけれど、「気に入った、いいもの。」を暮らしに取り入れるコストが下がってい流。

私たちの暮らしは、思っているよりも自由に設計できる環境にいるんだと、実感しやすくなったことを知る。

Natsumi Goto

デザイナー/アーティスト

自然や日常の中にある「感性の動き」をテーマに、アート制作やデザインコンサルティングを行う。

感性を起点に、個人やブランドの「まだ言語化されていない魅力」を引き出し、コンセプト設計や表現へと落とし込むことを得意とする。

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