CULTURE
2026.7.20
豊かさに包まれた化け物

幼少期を過ごした故郷、宮崎に帰ることが増えた。
生き物としてのリズムを持った暮らしにルーティンを調整。
全身での深呼吸が、ずいぶん上手になったと思う。

自分の名前で仕事をすることの、楽しさと厳しさを通って5年が経つ。
これまでの経験を経て、確信したことがある。
やりたいと思ったことは、適切な道を歩めば、できるようになる。
ほしいと思ったものは、ご縁を大切にできれば、手に入る。
理想との『時差』を考慮して、筋のいい道を選びさえすれば。

とにかく自分らしく過ごすことが、豊かさ溢れる循環に繋がっていることを感じられる。
最近ハマっている『古事記』を読んで、師匠の論文に頭を悩ませて、思い出したようにアートブックを開いて、必要な栄養を摂る。
ここのところは、毎日ひとつジブリ作品をみるとか、意図的に感動する時間をつくってみている。
海を眺められる場所で、見飽きるほど広い海を見下ろして、ぼーっとするとか。

自然を離れると、人は伸びやかに生きていけない。
大切な感覚が、切れてしまう。
都会過ぎる場所だけで暮らすことに限界を感じつつあるから、そろそろ2拠点生活にするべきかもしれない。
感性のアラートは、無視できないから。
私たちの人生は長いから、長い時間軸でバランスを取らないと、どこかでバランスを崩す。
悔いなく手ぶらで死ねるように、今日も過ごしたいね。
大切な故郷に戻ってみると、記憶の断片に苦しく思った。
とても残念だけれど、縁というものは、一度その座標を離れていくと、二度と同じ形で会うことはないものなど気づいた。
あの時の自分は、あの時のあの人たちは、離れていくしかない。
物理的に座標をともにしてみても、思い出話という記憶の力でその場所に戻ろうとしても、もうそこにはあの人たちも私もいない。

『グレート・ギャッツビー』終盤にある、緑の灯台の意味が変わってしまったときのような、どうすることもできない喪失感をしれた帰省だった。
昔の歴史を知りたいのは、今の私であって、今の私が先に進めたいことが、今ここにあるのであって。
全ての感情には発生時期があって、その発生した瞬間に合わせて発散しながら暮らすことが、いかに合理的で健康的なことなのか。
時間の流れ方について、自分がいる座標ごとに違って感じられる理由が、腑に落ちた週末。
最近は、AIに助けてもらって、感性を磨く手段を身につけた。
私の記事を長く読んでくれている人は理解してくれるように、私は基本的に感性を育てるためのルールを定めておいて、その道に従って発散的に生きるということをしている。
そして、自分の感性を育むルール守れない場合は、都度、何かを変えるようにしている。
そして、「あ、今ならできるかも」と思って、つくっているのが、AIの長期メモリに自分の感覚・思考の判断基準を埋め込む作業。
まだまだ途上なので、詳細はここには書かない。(需要があれば後日、記載します。)
普段のなんとなくの思考・行動についても、AIに問い合わせて、原則から外れているところ、停滞しているところには振り返りを適用する、ということをやっている。
人の思考は、放っておくと、昔のまんまだから。
日々の好奇心で、刺激を入れてあげないといけないとね。
振り返りを重ねて、気づいたことがある。
自分が享受している豊かさが分からないと、人間は人間らしくいられないんじゃないだろうか。

停滞しているところには、何らかの傲慢さが残っている気がした、祝日の午後。
Natsumi Goto
デザイナー/アーティスト
自然や日常の中にある「感性の動き」をテーマに、アート制作やデザインコンサルティングを行う。
感性を起点に、個人やブランドの「まだ言語化されていない魅力」を引き出し、コンセプト設計や表現へと落とし込むことを得意とする。
